スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

西尾維新、佐藤友哉 

ここで昔話。
西尾維新、佐藤友哉、滝本滝彦。
同時代に同年代でデビューしたことで何かと比べられていました。
3人とも2003年くらいまでの著作しか知りません。
書きたいことが上手く言語化できないのでまずは単純化します。
多分3人とも同じようなものを持っていた。
それをどうしたか。
西尾維新→諦観、達観。
佐藤友哉→憎悪、怒り。
滝本滝彦→解答、逃避。

何を書きたいかというと。
佐藤友哉の「クリスマス・テロル」まであった何かについてです。
そして現在失われてしまった何かについてです。

佐藤友哉を簡単に紹介すると
劣等感と、その裏返しの優越感。そして自分と社会の閉塞感。
それらからくるフラストレーションの塊のような文章。
行間からは登場人物ではなく作者の不満が溢れている。
そんな作家でした。

AはBを苛めていた。
そしてBがAを切り刻む。
BがAに対して復讐を起す文章をC。
BがAを憎む文章をD。
作者のどうにもならない思いをE。
CにはDよりもEが入っている。
それ以上にどの文章にもEしかない。
童話だろうが何を書こうとEが漏れ出す。

あのドロドロとしたものをずっと求めているのです。
あの生々しさはどこへいったんですか。
西尾維新のように戯言と言い切ることもできなければ、滝本滝彦のように逃げ出すこともできない。
そして今や多くの人が抱えていない。
今の新人作家にはちっともないもの。
あのどうしようもなさを求めているのです。
私が読んだ本の中ではぶっちぎりの嬉しくないシンクロ率です。
そしてフラストレーションに対し嫌悪と共にそうだと認めるしかないものを感じたのです。
痛々しくて、頑張っちゃって、でもどうにもならない感じ。
嘘や汚物の全てに唾を吐きかけたら何も残ってなくて、でもそれらで生きる嫌悪感。

滝本滝彦の小説にそれらからの脱却を求めたカタルシスがあるのなら、
西尾維新の小説がそれらを戯言と名づけエンターテイメントのスパイスとしたのなら、
佐藤友哉の小説はそれらを直視し続けたための絶望も許さない嫌悪感があります。

実際は本人はそんなつもりで書いていなくて単に私の思い込みの可能性が高いです。しかし私は佐藤友哉からしかそれを感じられなかったのです。他はそんな感性を持ち合わせていない。あるいは目を逸らしている。だから私は佐藤友哉の小説に迫力を感じたってことです。
なんというかあの当時の自分の肌触り、あるいは時代の肌触りがそこにはあった。

もう一度そんな感覚を味わいたいのです。
今の私が佐藤友哉の昔の小説を読んでもダメでしょう。
だから今の私にそう感じさせてくれるものをずっと探しているのですが、ちっとも見つかりません。

もし人に佐藤友哉を薦めるならば、そんなフラストレーションを抱えた人にのみ薦めます。そうでない人が読んでもくだらないだけです。佐藤友哉が読めるのはその感性からだけです。
それを失った「鏡姉妹の飛ぶ教室」は1章を読んで投げ捨てました。売れなくて西尾維新の作風を真似たんでしょうけれどひどかった。
今は失業の心配も無くなって作風を戻したのかななんて期待もしますが、あれは作風の問題ではなくあの時しかなかった何かなのできっともうダメでしょう。そしてあの時の私だから無二の傑作だったのでしょう。
今読んでも、あの時の気持ちにはなれないでしょう。内省的で憎悪に不満に焦燥に諦観と現実逃避に満ちた言わば当時ネット上に蔓延していたサイト郡を嫉妬し憎悪するサイトと同じエッセンスです。
西尾維新のフォロワーは捨てるほどいても、「クリスマス・テロル」までの佐藤友哉のフォロワーが見当たらない。西尾維新が売れ滝本滝彦もマンガ化されても、佐藤友哉はちっとも見向きもされないのは何故か。(名前も知られない作家は腐るほどいるわけですが。)フォローする対象が、感性とか感情なのですから見当たらなくて当然です。
西尾維新を2冊で涼宮ハルヒを1冊で投げ捨てた私は時代と合わなかったってことで今も探し続けてるんです。


「クリスマス・テロル」までの佐藤友哉。特に「クリスマス・テロル」
A75以上
M-
T75以上
S30-45
E85以上(劣等感と、その裏返しの優越感、そして閉塞感からくるフラストレーションの塊のような文章。当時の私はシンクロ率抜群と認めざるを得なかった。ミステリじゃなく童話というジャンルで書いたとしても得るものは変わらなかったでしょう。おそらくは、当時の私、当時の佐藤友哉、そして2002年という時代が生み出した傑作)
もし人に佐藤友哉を薦めるならば、その種のフラストレーションを抱えた人にのみ薦めます。そうでない人が読んでもくだらないだけです。佐藤友哉が読めるのはその感性からだけです。




ついでに西尾維新について
今や売れっ子エンターテイナーです。
(個人的にはブギーポップの世界でドクロちゃんをやられているようで気持ち悪いのですが)
「クビキリロマンチスト」西尾維新
A10(どうしても受け入れられない、戯言なんていわないで)
M-
T25以上
S60以上
E50以上(この人は先駆者だし、ある種の感性を持ってるので)



評価記号について

総合

物語性とでもいうか、演出、構成、設定など
要はお話としてどうかってこと

これは一番説明が難しい。
TVのコメンテイターに説得力がないのは何故か?
言わされているか、言っているか。
どこかで聞いたことのあることを喋っているだけかどうか。
主張あるいは熱意があるかどうか。
やりたいことをやっているかどうか

私の嗜好性、明るい話より暗い話、電波や青臭いは誉め言葉。

その他の特性

最高は100点
-は作品の評価に関係ないということ
「以上」それ以上だが判断がつかないということ

最後に、
独断と偏見に満ちてた評価だということ
かつ備忘録である


基本的に2000-2003年当たりに読んだものに関しては点数が高くなります。

スポンサーサイト

「隣の家の少女」「リングテイル」「僕らはどこにも開かない」「アルジャーノンに花束を」「ポップ1280」 

最近読んだ本のメモ
「隣の家の少女」 ジャック・ケッチャム
少女が近所の家に養子として連れてこられる。好きになった少女が、少女の美と若さに嫉妬に狂った養母とその息子と息子の仲間達に虐待される。息子の友人の主人公たる少年も流れに逆らおうにも逆らえず虐待を眺めている話。
淡々とした作品。虐待ものなんだけど、どことなく煮え切らない中途半端な作品。ほのかに香る文学性が鼻につく。古典文学から匂ってくるあの香り。芸術性っていうのか、ハイハイ綺麗に纏まりましたって感じの臭い。文学性を主張するかのような臭い。嫌いな香りじゃないけど、わざわざ嗅ぎたくもない。
悪くないけど、こういう本を1冊読んだという経験値を手に入れたよって作品。

A20
M-
T25
S25
E15(何となく)


「リングテイル」1234巻 円山夢久
2000年出版だが、さらに10年前の雰囲気の作品。
80年台色強そうなハイファンタジー。ロードス島戦記の仲間なんじゃないかな(読んだことないけど)。絶対に時代が古い。
でも読ませるよ。
何かためになるようなことが書いてあるわけでも、この言い回し良いなぁなんて思うところもない。
でも読ませる。一気に読んだ。
文章を読むという行為が純粋に楽しいんだと思う。
特別な文体なわけでもない、ただ読ませる。
寝覚めが良い朝のような爽快な読後感。

A30-45
M10
T30
S-
E30-45(読後感)


この評価基準での最高傑作は
「イリヤの空、UFOの夏」秋山瑞人著
イリヤはただ読ませるだけじゃなく文体が最高なんだけど。
目で文字を追うことか純粋に気持ちいい。
視覚的かつ先へ先へと急がすような文体には驚愕です。

A35以上
M10
T20
S20
E75以上(文体)



「僕らはどこにも開かない」御影瑛路
狂気や異常や負を軸に世界を違う見方で捉えたって作品。
最近というか2000年前くらいからのライトノベル付近の延長。
ただその手の題材で話を作ったってだけ。主張にポーズが、というか主張を最重要にしていないだけ無いだけ読むに耐えられる。
だがら話が上手く出来ているかどうかで考える。
退屈はしない。だがレシピがあれば料理はいらない。
私はこの手の本に嗜好があるから、評価が厳しいのかもしれないし易しいのかもしれない。扱っている内容自体は実はインパクトのあることかもしれないし、本としてのレベルはずっと低いかもしれない。
ただ4年前読んでいたら嫌悪したと思う。多分この作者は題材と技術でしかカバーできない。

A10
M15
T5
S35
E5(もう一作様子見)


「アルジャーノンに花束を」D・キイス
感動する話だということも、感動する人が多くいることもわかるよ。

A30-50
M40
T20
S10
E25(幼少時のリアリティとか)


「ポップ1280」ジム・トンプソン
なんだか不思議な魅力がある。
アメリカの地方新聞で週刊連載されてそうな、でもそこには収まらないような。
夏から秋へと変わる青い空、見渡す限りの小麦畑、赤いトラクターの横で麦藁帽子の体格の良い老人が「何か話を聞かせてよ」と孫にせがまれて「しょうがない子だ、今日だけだぞ、おじいちゃんが子供の頃の新聞で書かれていた話しなんだがな」などと語り始めて、気づいたら厚い雲に覆われていて、子供が重い面持ちで、いつの間にか夕暮れで、「さ、帰るぞ。」と子供の肩をぽんとたたく。そんな情景が似合う。
どことなく御伽噺のようで、とぼけたようなユーモアと何処か重い後味が癖になる不思議な魅力。
余談だが、昔の18禁ゲームの雰囲気がどことなく漂う。

A35以上
M20
T30
S35
E50(作風としかいいようのないもの)



評価記号について

総合

物語性とでもいうか、演出、構成、設定など
要はお話としてどうかってこと

これは一番説明が難しい。
TVのコメンテイターに説得力がないのは何故か?
言わされているか、言っているか。
どこかで聞いたことのあることを喋っているだけかどうか。
主張あるいは熱意があるかどうか。
やりたいことをやっているかどうか

私の嗜好性、明るい話より暗い話、電波や青臭いは誉め言葉。

その他の特性

最高は100点
-は作品の評価に関係ないということ
「以上」それ以上だが判断がつかないということ

最後に、
独断と偏見に満ちてた評価だということ
かつ備忘録である

違和感の遠因のひとつを見つけた。解決法は無いけれど。 

違和感の遠因のひとつを見つけた。解決法は無いけれど。
俺以外にはどうだっていいことだけれど。
何故こんな当たり前のことを見逃し忘れていたのか。


ここからはメモ。遠因から連想ゲーム的に思いついたメモ。
遠因には関係が無いメモ。


「僕はこの瞬間は青空が好きだ」この一文によって隠されることは何か。
同時に花が好きだと思ったとしたら?
同時に空を憎んでいたとしたら?
それ以上にカレーを食いたかったとしたら?
それ以下に牛丼を食いたくなかったとしたら?
青空が少し好きだとしたら?
花より好きだとしたら?
言語を用いて真実、本当のこと、事実、のようなものを説明することは
目の前の木を指差して地球だと主張する程度に愚かだ。
嘘とは言わないけれど言語は致命的に不完全だ。
上記はコミュニケーションのための言語の場合。
要は相手に自分を伝えるための言語の場合
それではもし「僕はこの瞬間は青空が好きだ」この一文が
真実、本当のこと、事実、のようなものだとしたら何によってか
言語のみによって。言語から人間を除いた場合のみ。
言語は言語によってのみ正しい。

真実、本当のこと、事実、のような意味のものはどこにあるか。
言語の外。目の前の天井事態に嘘は、というか嘘という概念が無い。
嘘は言語の中にのみ存在する。
では言語以外は本物かというとそうではない。
愛、友情、憎しみ等人間が感じるものは何から生まれるか。
それは分からない。では何によって育つか。
言語のような性質を持った何かによって。

どうして黙っていられねーのかな。 

どうして黙っていられねーのかな。
特に俺の母親のことなんだけどね。
ドラフトで誰がどこにどんな理由で行こうと、俺にはコメントするほどの関心なんてない。関心がなければ黙っている、という当たり前のことが出来ない人間が多すぎやしねーか。何かコメントするにしても突き放した言い方こそが真摯なんじゃねーの。皮肉を交えなきゃ突き放した言い方もできないどうしよーもないカボチャが多すぎるんだけどさ。突き放すという行為が一種の自虐を帯びるほど自分と他人の境が曖昧な、純粋に無関心でいられない奴や、何にでも口出しして理解者顔な奴とか殺してーよ。
話題の対象に関心が無くても話題の相手に関心のある、誰かと関係を持つための言語はもちろん除外する。

折角の泣いた朝だというのに嫌なもん見ちまったよ。

今日久しぶりに泣いた。それも大泣き。 

今日久しぶりに泣いた。それも大泣き。
深夜目覚めたら涙が溜まってた。
泣こうと決めたらぼろぼろ落ちてきた。
気持ちや理由を探ったら止まりそうだった。
だから泣くことに専念した。
涙がこぼれてくるだけだった。
それも止まりそうだったので寝た。

空耳ケーキ Oranges&Lemones 

ハーイ♪リスナーのみんな、ご機嫌いかがかな?
DJ楽園のお気に入りの曲紹介のコーナーだ。
今日はあずまんが大王のOP「空耳ケーキ」。
曲+動画というスタイルにおいて、外すことができない一曲だ。
アニメの映像手法のある種の完成を見るのは俺だけだろうか。
あずまんがOPについては、知ってて当たり前の一般常識だと思ってたんだが、どうやら俺の勘違いらしいから今日紹介しようと思う。

あずまんが大王について少し紹介

あずまんが大王については説明するまでもないだろうが。「あずまんが大王」あずまきよひこ著の4コママンガ。
90年代末に登場し、4コママンガの流れを変えた歴史的名作だ。ライトノベルにおける「ブギーポップは笑わない」上遠野浩平著、に当たると思ってもらえればいい。どちらも業界におけるインパクトは相当のものでその後の業界の方向性を決定したと言っても過言ではない。その後の作品はいまいちぱっとしないインパクトの乏しい出来だが、それでもある種のセンスからある程度の読者を獲得し続けているという点も類似している。

あずまんが大王はマンガアニメともお勧めなので未見の人は是非。
上遠野浩平に関してはデビューから6作目まではお勧めなので未読の人は是非。
ブギーポップは笑わない(1998/2)
ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター Part 1(1998/8)
ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター Part 2(1998/8)
ブギーポップ・イン・ザ・ミラー パンドラ(1998/12)
ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王(1999/2)
夜明けのブギーポップ(1999/5)

話が逸れたね。それでは見てくれ。

空耳ケーキ Oranges&Lemones

Lu LaLu La ピアノは世界の夢咲く野原にメロディー
こわれた時計を信じて 時間は誰の味方?

どうしてこんなに私の胸 優しい誰かを待ってるの?
教えて素敵な未来 Moonlight, moonlight sleepin'

Lu La Lu La 思い出リンゴに目覚めの少女がキスして
せつなく広げた本には ふたりのベルが鳴るよ

抱きしめたいから愛しい人
もう泣かないでね Good bye sadness
不思議な扉の文字は 『空耳ケーキ』

Wonderland! ようこそ君には Fairyland! 愛の魔法なの
Love's all way! 毎日ふわふわ小麦の誘惑

Cake for you!
食べてね今夜は Tea for you! 星座のお茶会
窓に天使のコーラス 君には空耳? 好きだよ好きだよの声


Lu La Lu La ピアノに世界は夢見る小さなメロディー
指から祈りのワルツが あふれていい気持ちね

いつでも素直な私の胸 静かに眠りのあいさつ
秘密のお願いだから Holy, Holy whisper

Lu La Lu La どこでも暖炉は三日月天から降る日も
凍える旅人の心 とかしてHugしてるよ

きれいな空気に光りの道 迷わず歩けば Welcome pleasure
瞳に浮かんだ文字は 『空耳ケーキ』

Wonderland! ようこそ君には Fairyland! 恋の喜びを
Love's all way! 毎日わくわく小麦の冒険

Cake for you! 小さな幸せ Tea for you! 大きな笑顔で
窓に天使のコーラス 君には空耳? 好きだよ好きだよの声


「ヒカリ」「シアワセノサガシカタ」 佐藤裕美 

ハーイ♪リスナーのみんな、久しぶりだね、ご機嫌いかがかな?
DJ楽園のお気に入りの曲紹介のコーナーだ。
今日は2曲紹介しようと思う。
18禁ゲームからの紹介で「ジサツのための101の方法」のOPED。製作は公爵(デューク)で処女作にして最終作品。18禁ゲームとしてはある意味存在感抜群のゲーム。
現在は活動停止中。当然だと思う。こんなゲームで資金を回収できるわけがない。
曲は名曲。特にOP。歌詞、歌声、曲調の調和具合は素晴らしい。最後の語りは良くも悪くもないけどね。
今はDJなんてやってるけど、こんな歌詞書けるようになりたかったぜ。

ちょっとだけゲームの紹介。

欝ゲーに有触れた日常描写と自己同一化したくなるような文章から始まり、突発的加速度的に世界が電波な方向へ転がっていきます。そして日常とともに読者も置いていかれる作品。いったまま戻ってきませんでした。

突然違うストーリーが入ってくる、ストーリーの展開が異なってくるなどの指摘を受けましたが、これらは演出であり仕様となります、ご了承ください(公式抜粋)

「さよならを教えて」が電波な人間を正常な枠組みで完成された物語に仕立てたのならば。「ジサツのための101の方法」は電波な人間を崩した枠組みで書いた作品。途中、ドグラマグラに足場を置けるかと思いましたが無駄でした。作品としては成立しているが、物語として成立しているかについてはYESとは言えない。
電波を見せる作品は多々あるものの作品自体を電波に踏み込ませた作品は珍しい。それこそがこのゲームの価値。

「妄想心理ノベル」というジャンルらしいが、登場人物だけではなく作品構成まで全体を包み込んでいる。現実が最後まではっきりと示されない。テーマや筋道(現実)を見つけたとしてもそれも疑わざるを得なくしてしまう造り。
登場人物について好悪を持ち込むことが有効ではない作品。どのキャラが好きだの嫌いだのという輪に参加するのが虚しくなる作品。文章や登場人物はいいんです、作品自体のみが現実の基準に足場を置いて造られていない。
ゲーム終了後、何かをやり遂げた充実感を感じるようにはわざと造られていない。何かが始まり、盛り上がり、終わる、というのはそれだけで何らかの感傷を引き起こすのだが、それを否定したような造り。何故ならその感傷は正常な予定調和だから。
ワゴンセールで見つけたら是非手にとってください。
人によっては気分を害したり、読み進めるのが面倒な作品ですが。

ついでに
支離滅裂は当たり前、理解できなくて当たり前。理解できるのは言葉まで。それでいて作品と言える。こんな見方あるかもね、そんな境地に鑑賞者を立たさない何を受け取ればいいか分からない。そんな作品を鋭利募集中。

長文スマン。それでは聴いてくれ。OP「ヒカリ」ED「シアワセノサガシカタ」共に佐藤裕美だ。

ヒカリ 佐藤裕美

きのう見た夢 あしたの日記に書いて
ララ…… わたしサカサマ
罪と罰も罰と罪
ルララ……素敵でしょ?

たしかなきのう 崩れ 流れ 糸を引き
とろけたあすも ほらね グズズ崩れ落ちる
ルラ……踊りましょ?

きばの無いけもの くらいそらのした
裁きを祈れ いま こそ
ヒカリヨ アレカシ

けど それは なにも照らせない
無意味な ニセモノのひかりで
ひざまづき 泣いて 血を吐くの
オネガイ 赦してよ……

ふるえるノドを 締めて優しくころして。
錆びたハサミで おなか開いてさがして。
こたえ……見つかった?

カラの水槽 つもった
時間の塵に なにを埋めよう
たとえば わたしなんかどう……?
ほら 似合うでしょ?

羽の無い猫よ くらいそらのなか
すべてを裁け
きら めく 眼で わたしを焼け

けど それは なにも裁けない
無邪気な イツワリのひかりで
星か月 割れた電球
ガラスだま 助けてよ……




シアワセノサガシカタ 佐藤裕美

あめあがりの交差点で かぜに吹かれて
こたえを探してみたけど なんにもなくて

うたうことしかできない このあたしだから
コンパスの見方なんて わからないから

だから 歩いてゆこう なにもないこの道を
かぜに 吹かれてゆけば きみにあえるかな?

白い雲の彼方に 蒼いかぜの向こうに
うたが とぎれる場所で きみにあえるかな?

「世界の果て」とか「おもいで」
そんなところに あたしの場所がある
――だけど そんなのウソで

ここじゃないどこかの地図 探してたけど
どこに行けば買えるのか わからなくって

だけど 歩いてゆこう ころびながら歩こう
いつか顔を上げたら きみにあえるから

白いシャツはためかせ
蒼い髪をなびかせ
優しいかぜのふく場所
きみにあえるから


何も書けない時は心理テストに逃げるに限る。 

何も書けない時は心理テストに逃げるに限る。
でもちょっと変わった心理テストで、顔写真8枚から好きな顔2枚と嫌いな顔2枚を選んでいくタイプの心理テスト。
2回試した理由は、1回目はその人の本質が、2回目はその人現状が、現れる傾向があるから。
逆だったかな。
当方では信頼性の保証はしない。



診断結果 一回目
--------------------------------------------------------------------------------
性衝動 0*タイプ
強い人には弱く、弱い人には強いコウモリ型。サディズム的傾向と、マゾヒズム的傾向が同じに存在するので、男性の場合はむしろ消極的な感じであり、女性の場合は積極的にみえる。相手によって態度が変わる。


発作衝動 00タイプ

感情が爆発した後の解消状態である激情皆無型。台風一過の静かな無風状態を示している。この反応の前にはたいてい感情が氾濫し、後に来る潮が引いたような無感情な状態であることが多い。一般に感情激変のしるし。


自我衝動 *0タイプ

常にどうかしなければならないと考えている強迫自我型。社会的に許されない欲求と、これを規制する欲求とが同時に存在し、繰り返し同じ問題で悩む。自己愛と理想を求める心との間で、どちらとも決められない。


接触衝動 00タイプ

他の人やものと接触感覚を喪失した接触喪失型。愛の対象や心の中の観念などのすべての対象が、本人には無意味に感じられ、世界との接触を失って、固着、執着、離別、探求のどれもしなくなった状態。


2回目

診断結果
--------------------------------------------------------------------------------
性衝動 +*タイプ
ある特定の個人を愛するが、その人に従うか、積極的になるか迷う愛情表現不能型。普通の積極的感覚による性欲求を持っているが、相手によって受け身にもなる。同性愛の場合は、男役、女役の両面を持っている。


発作衝動 00タイプ

感情が爆発した後の解消状態である激情皆無型。台風一過の静かな無風状態を示している。この反応の前にはたいてい感情が氾濫し、後に来る潮が引いたような無感情な状態であることが多い。一般に感情激変のしるし。


自我衝動 00タイプ

人格の中心である自我機能の喪失した状態で、自我喪失型。外からの刺激に対して防衛活動を完全に放棄したものとも考えられるが、一般にはもうろうとした状態や失神時などにあらわれる反応で、危険信号。


接触衝動 0-タイプ

自分を無価値に感じる孤独な意志不定型。過去のものは全部意味がなく、未来へ希望があってもうまくいかないで、一人であせる。社会や理想をあきらめ放浪を好む。


http://www2.osk.3web.ne.jp/~hani/szondi/

ひぐらしのなく頃に解 プレイ終了。 

ひぐらしのなく頃に解 プレイ終了。

素直に面白いかったです。
万人に薦められるエンターテイメント作品です。
サウンドノベルというメディアの性質を生かした良作です。

零れ落ちてくるものがなんであってもです。

身の程知らずに言えば。もし立場を弁えなければいけないのなら少なく見積もって人間の99%に発言権はありませんので堂々と書きますが。
零れ落ちてくるものが未熟さ、鈍感さ、程度の低さ、センスのなさのようなものであってもです。

計8編でプレイ時間も膨大なゲームですが、最初の鬼隠し編の部活と最後の祭囃し編以外は面倒に感じられません。
最後の祭囃し編も、読者のひぐらしを終わらせるという意味では良いと思います。

ライターがスタッフルームというシナリオの外で書いています。
何が語りたいやらもわかりにくい、このような難解な作品、と。
ですが8編を小出しにするから分かりにくかっただけで
最後のシナリオからプレイしていけば謎も主張も至極単純な話です。
1番手でなくてもせいぜい5-10番手あたりです。100番手の主張ってことはありません。
純粋で微笑ましいです。
伝わることは相手が知っていることだからです。共感を得られることは相手が良いなと思っていたことだからです。他人に誤解が少なく伝わるということは、その考えに対して相手の錬度が高いということです。大勢に伝わるということは社会の錬度が高いということです。相手に伝わるという効力には主張自体の良し悪しは重要では有りません。対象と主張の差が全てです。伝わった後に受け入れられるかは理想や良識というもに依存するんでしょうが。主張を3行で書いてみて、文章に不備はないのに、よく理解も出来ないし受け入れることもできない。それをプレイ後どこまで理解共感されるかが作品の価値だと思っています。その作品をプレイしないと理解も共感もできない。それのみがある種の価値を決めるのではないでしょうか。そしてある種の価値とは私にとって他の価値より価値のあることです。
その意味でひぐらしは大勢の人間に受け入れられる主張を選択し、何より見せ方が上手かったということです。ひぐらしに限らず作品のほとんど全ては表現の方法にありますので主張なんて気にしません。
見せ方ではなく主張で説得力を出せるならすごいことです。
ひぐらしのレビューというよりも私の評価基準の話でした。
もちろん、主張はこのゲームでも主張という理由で重要ではありますが、それ以上に構成の一部です。
間の抜けた立ち絵も、だからこそひぐらし。
あの安っぽい音楽も演出も最初は何だこれと思いましたが今はだからこそに変わっています。私は鷹野三佐の戦闘服で気づき、山狗の小此木二尉の立ち絵で納得し、赤坂の戦闘ポーズを見た時にひぐらしの完成度を確信しました。
アニメ版じゃひぐらしは伝わらないだろと思えてくるのは完成されている証です。サウンドノベルは自由でいいです。声が入ってないのも実にこのゲームらしいです。


私はレビューが下手ですね。
いろんなものが詰ったエンターテイメント作品です。
体験版としてサークル07th-expansionのHPで「鬼隠し編」がプレイできますので時間のある方は是非プレイしてみてください。プレイヤーの想像の一つ上を常に突いてくる純粋に面白いサウンドノベルです。サウンドノベルの原点を見たような気もします。刺激的な暇つぶしをお楽しみください。

07th-expansionHP
http://07th-expansion.net/Soft/Higurasi.htm

ペットボトルオシッコという言葉をご存知だろうか 

ペットボトルオシッコという言葉をご存知だろうか
読んで字のごとくペットボトルに放尿する行為を指す
MMOで1日18時間ほど狩をしたり
立ち上がることも面倒な無気力時
漏らすと掃除が面倒だしという理由で行われる行為

そんな生活を有り触れたライフスタイルだと疑わない人間の戯言だと思ってもらいたい

あるいは24時間耳栓を装備して僅かな音に過敏に反応し、あー!うるせーな!!殺すぞ!!!と独り部屋で叫び、隣人をいかに殺すかについて延々と考えていた

そんな生活にも関らず、自分は正常だから精神科に行ってはいけないと
引き篭もっていた人間の戯言だと思ってもらいたい


錬金術師へ
この世界は錬金術で溢れている
僕も錬金術師にならなければいけない
何も無いところから、ああも見事に作り出す
欲望を焦燥へ、焦燥を理性へ、理性を情熱へ、情熱を技術へ
語呂が悪くてもかまわない
あまりに人間的な欲求に
極めて論理的な焦燥感
僕を苦しめてきた静寂を

僕は積み木で出来ている、正しくもあり間違ってもいる
自己把握力も、分析力も極めて正常
天井の先には宇宙が広がり戦闘が繰り広げられている
今日は心の調子もいい
最近部屋で虫に刺される回数が尋常じゃなかった
だから今日はムヒを買った
問題解決力も行動力も抜群だ
患部を前にムヒを塗らずにこれを書いている
自制心も忍耐力も問題ない
部屋の掃除を3ヶ月実行できないけどもう関係ない
掃除の出来ない人間はゴミの中で行動あるのみ
甘えも克服している
そしてさらに今日の俺は焦燥感に満ちている
準備は整った

卵の殻を破らねば雛鳥は生まれずに死んでいく
生徒会メンバーなら誰でも知っていることだ

人が死ぬのはいつか
今死なねばならない理由が無い人はいつ死ぬべきか
その日が来るまで
その日がきたら死ねばいいし、狂えばいい
単調に過ごす日々の中そんな日が必ず混じる
その時、自然に振舞えなければいけない

戦ったら絶対負けるけど
僕は逃げに行く。それが無理なら生きに行く。それも無理なら狂いに行く。それも無理なら死にに行く。それも無理ならただ生きる。

爽快であること


うそうそ

心は泥で出来ている。 

心は泥で出来ている。
自動的に脳の中で精神安定剤が生成されてる。
そんな気がしてならない。
何を見ても泥のようだよ。
感動とか好きとか切ないとか泥の上をすべるだけで湧き上がってもこなければ染み渡りもしない。
人は生まれながらに不平等だけど、
心にも生まれながらの階級がある気がするよ。
愛や感動を味わうことが出来る特権階級の心には
憎悪なんて感情は排斥すべきものなんだろうけど。
気が付いたらヘドロに埋まってたような心には憎悪も有り難いものだよ。
湧き上がってきてくれるものなんてそれくらいだからね。
でも比喩ではなくて奴隷として売られるのは嫌だよ、殴られる以上の目に合うのはひどく苦痛だろうからさ。泥なんか突き破る苦痛だろうけどね。
だからどうにもできずに泥の中に鬱屈したものを育てていくんだろうね。

言語の限界なんて寝ぼけたことを言うつもりはない 

言語の限界なんて寝ぼけたことを言うつもりはない
その遥か手前に俺の文章力の限界がある
俺は俺の書いたことを真に受けないし
そこに自分が書かれているなんて真に受けない
何を隠したくて何を見せたいか
何が隠されて何が見せられたか
常にそれがある

無い、捨て去ったか諦めた 

無い、捨て去ったか諦めたか
ビルから飛び降りなくても
歩いていける気がする
昔は自分を殺したかったが
もう止めてしまいたい
文字だけ見ると苦しそうだろう
でも苦しくもない
文字通りだ
誰だ、単語や文体に価値や感情を付けた迷惑な奴は
ひどい体臭に吐き気がするぜ
欲望による解釈か言語が見せる夢か
どちらでもいい
この文体や単語選択は癖なので気にしないで欲しい
生きていた
何があったのか
目標?それも多分あった
充実?それはなかった
憎悪、ただ憎悪
憎悪のおかげで生きていた
生かされていた
だから憎悪を、もっと憎悪を
今すぐ憎悪で満たしてくれ


なんて自分を鼓舞してみたところでどうにもなんねえ


価値も感情もない、と現状を記した全ての文に注釈してやりたい
もちろんこの文にも
この書き方も何らかの心象を与えるだろうか
いかなる心象も与えたくない
いかなる心象も与えないとはどういうことなのか
さっぱり分からない

課題は山積みなのに退屈で死にそうになる不思議。 

課題は山積みなのに退屈で死にそうになる不思議。
明日世界が終わって欲しい。
この失敗作、どう処理したらいいんだろうね。
俺の手に余るよ。

ピーターパンの冒険 

ピーターパンの冒険

ピーターパンの冒険を見ています。
感覚が死ぬ前に見たかったアニメです。
懐かしいだけになったら悲惨だからさ。
でも懐かしいより素晴らしいが大きくてよかった。
すごい覚えてる。
言葉にするのが面倒なくらい覚えてる。
忘れてる感覚がほとんどないくらい。
セリフを聴いたとき感じた感覚も覚えてる。
26話まで見たけど名作だよ。
子供特有の経験のなさからつまらないものを素晴らしいと思い込んでるだけかもしれないと、感傷をぶっ壊す覚悟で見たんだけど超名作でした。
第1話のドキドキ、ピーターパンが来なかったらどうしようと思いながら俺もピーターパンを待ってた、相変わらず時計ワニはいかしてるし、ティンクエロいとか独り思ってたことも思い出した、リリィの凛々しさは憧れだったよ、ウェンディが好きでピーターパンに嫉妬した感覚も嫉妬したそのシーンで思い出した、ウェンディが海賊に白雪姫のお話を聴かせる話に悶えてた。
あの雨と城はフック船長の城と城に降る雨だったのか。
あのシーンはルナ初登場の回だったのか。
あのシーンはおそらくダークネス城に向かうシーンだろう。
今まである種の映像を見るといつも頭に浮かぶイメージがあって気になってたんだけど、10年来の悩みが解決しました。
あのシーンもピーターパンの冒険だったんだ。
昔の宮崎アニメを探したりしたもんだけど見つからないはずだよ。
フック船長との対決の一連の回とか毎週放送のアニメとは思えない出来だよ超名作。
ウェンディはびっくりするほど可愛いよ。
子供の俺が恋に落ちるのも無理はないよ。
元々目的がない人間なんで彼女で生きる人生でも生きることと死ぬことに覚悟さえできていれば何の悔いもないよ。
目的を外じゃなく自分に設定したがるから俺は上手くいかないんだろうけどまあいいや。
YoutubeでOPだけでも紹介したいんだけど映像がないんだよなあ。

あと子供の頃見たアニメで見直したいのはビックリマン、新ビックリマン、オズの魔法使い。

ビックリマンは全体としてもすごい面白いはずだけどダークヘラが好きたったからそっちも気になる。オズの魔法使いのドロシーも好きだった気がするけど、もしかしたらウェンディと勘違いしてたかも。ピーターパンOPの馬車が壊れる場面をオズの魔法使いだと思ってたからさ。オズの魔法使いのEDは確か何もない丘の道を4人がただ画面奥に向かって歩いていくだけなんだけど、目が離せなかった。自信はないけど丘は暖かいオレンジの草原で空は真っ黒なんだよ。でもどこか暖かいんだよ。その道をただ歩いていくだけのEDだった記憶がある。

ネバーランドに行ってきます 

ネバーランドに行ってきます

若草物語がどうして素晴らしい物語か考えたことがありますか
何もかもくだらないものにしてしまう私の視点がないからです
ないのではなく物語の視点に合わせるといったほうがいいでしょうか
ありがとうという言葉が侮辱するものは何か
などというお礼の言葉が許せないような感覚を持ち込まないからです

俺はわからなくなっている。 

俺はわからなくなっている。
ますます曖昧になっていく。何がわからないかもわからない。薄っぺらな言葉だが、俺にはぴったりだ。言葉だけで疑問も深刻さもないのでぴったりなのだ。
この先は行き止まりだけど、辿り着けるかは分からないけど、辿り着くことが良いとも言えないけど。
やりたい事なんて何もなかった、やる気もなかった、才能や技量もなかった、人間関係を楽しむ適性もなかった、作業以外の何があったんだ。家で独り過ごしたい。お金さえあれば、部屋を借りて引き篭もって、本を読んだりゲームしたり、習い事したりできる。そのほうがいい。この願いに虚しさが付きまとうのは何故だろう。本を読んだりゲームしたり、習い事することなんて、結婚して出世して子供に囲まれて幸せに暮らすことと同じくらい望んでいないからだ。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。