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誰もがわかっていても誰かがやっちまう。(ついでにブラック・ラグーンの紹介) 

誰もがわかっていても誰かがやっちまう。

今放映中のアニメにブラック・ラグーンというアニメがある。

http://www.blacklagoon.jp/(公式ね)

アニメの紹介だが。
「NHKにようこそ」と違い原作を大切にしてる。声優も全く違和感ないし、眼鏡や双子の扱いも間違っちゃいない。評価の絶対値は原作以上だ。まぁ原作が手元にあるしここでは原作から紹介しよう。

ヒロインの最初のセリフ
「ダッチ。面倒くせえ、膝の辺りを撃っちまえ。小鳥みたいに喋りだす。」
その後も
「同情が欲しくて言ってんなら、もっと色付けて話をするよ。要するに人生の刃の上じゃ大切なことってのはそれくらいしかねえって話だ。正常位じゃ誰もイけねえんだよ、ロック。」

「俺は時々、どでかいクソの上を歩いてる気分になるよ。特にその手の話を聞いた時はな。だが、俺には道徳やら正義って物は肌に合わん。その手の言葉と尻から出るヤツは、びっくりするほど似てやがる。」

「あはははははっ。ああ、”どうして”?”どうして”ですって? そんなこと?あははっおっかしい!!そうしたいからよ。他にはなあんにもないの、そうしたいからそうするの。」
「あの子を養うか?無理だ。あの子は殺しをやめられないよ。誰かが、ほんの少し優しければあの子たちは、学校に通い友達を作って幸せに暮らしただろう。でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック。だから   この話はここでお終いなんだ。」

「ほれ、その眼だ。そりゃア善くねえ眼だな。あんたそりゃ犬の眼だ。」
「何いってんのかはわかんねえけどよ、お前は同類だな。血と臓物のな。知ってる匂いだ。」

「忠告だけしておく。私がこの世で我慢ならんものが二つある。一つは冷えたブリヌイ、そして間抜けなKGB崩れのクソ野郎だ。困ったものだ、そうだろう?弾にだけは当たらんよう、頭は低く生きていけ。」
「どこが違う?どこが違うんだロック?あいつはもう、こっちの側の人間で、そして姉御はロアナプラの流儀でここを片つける。違いなんてどこにもねえ。」
「この国の民警は実に優秀だ。」「賄賂を取らん警官は、必ず優秀だ。質の問題だね、軍曹。」「質は数に勝る。」「フランゲリヤの特別演習区で、警官どもに耳にたこが出来るほど聞かされたよ、懐かしいな。」

「ウォッカ流し込んでいかさまポーカーやってるだけのクズどもめ。たまには椅子を尻で磨く以外のこともやったらどうだ?」

「な?薬漬けンされてよ、毎日尻ふってクソでも食わされてりゃ……考え方も変わんと思うぜ?なあ。安心しろや、ビデオ出たらな、俺も買ってやっからよ?」
「貧乏クジだな、同情するぜ、お前らは……誰も生きてここから出られねえ、誰一人としてだ。できる限り逃げてみな、ここは「地獄のモーテル」だ。でねェと……ブギーマンに喰われるぞォ!!」


という感じだ。これのためにサンデーGXを毎月立ち読みしていたりする。
 この作品は吹き溜まりの街ロアナプラを舞台にしたセリフの効いたガンアクションだ。残虐シーンと言われるものも当然出てくるし、反社会的言動も出てくるし、もちろん未成年者も例を漏れない。もし人身売買の話が出てきたら舞台は東南アジアの街だ、「ダルマ」だの「芋虫」だの単語が出てくるだろう。だけどそんなの当たり前だろ、そういう作品だ。

 なのに残虐シーンがどうだとか子供が殺されるシーンがあるだとかバカバカしい非難の声が聞こえてくる。聞こえなくとも存在を確信する。言ってる人間の何割かは自分が見当はずれだって判ってると思う。この作品で男の子が犯されるよりも、ワカメちゃんが夜な夜な神社でかおるちゃんの写真の貼られたわら人形を呪詛を込めて打ち付けるシーンのほうが余程問題だろう?非難なんて見当はずれもいいところなんだが、でももし全員が見当はずれだと判っていても誰かが言うはめになる。
 なぜなら「子供に悪影響を与えるシーン(説明しきれないからこの共同幻想に含まれる全ての言動だ)は非難すべし」という蛆の集った血の定説が幻想の海を漂っているからだ。ブラックバス並みに釣れるそいつは、何かを考えようと釣り糸を垂らすと真っ先に喰らいついてくる。困ったことに人間は怠惰なくせに意見を持ちたがる生き物だ、そしてその腐ったブラックバスは手っ取り早く持てる意見ってやつだ。
 だから「子供に悪影響を与えるシーンは非難すべし、ただしフィクションの場合は作品による」と一文足して放流してやらなきゃいけない。あの種の連中は釣れた魚に丸ごと噛り付いて魚の存在を根拠にしたがる。だから根拠の大底は魚がいるってことまでだ。もちろん放流する方に権威やら良識、真実、論理やらを付けてやることをわすれちゃいけない。そうして入れ替われば、諭してやれるし何より静かになる。
 釣る魚が違うだけできっと誰も例に漏れないんだろうが。


最後に適当な切り抜き

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その道は進める限り間違っちゃいない。 

 その道は進める限り間違っちゃいない。
 泥に足を取られようと、風で飛ばされようと、困難さを正誤と錯覚しちゃいけない。科学に正しいという一面があるのは何故か。人類にもたらす恩恵にだろうか。だが例え何も得られないとしても、何かを目指す、それだけに正しいとされるものがあるのだろう。
 その意味で、どんな道だろうが進んでいる限り正しい。

>何を言ってるか自分でもわかりませんよ、もちろん。
 と10/21のブログに書いたんですが、何を言ってるのか見事に読み取れてしまいますね。でも、言葉は薄っぺらで生は躍動的だとか言いたかったわけでもなく、生きている気がしないなんて愚痴りたかったわけでもなくです。
 生きていることと「生きている」という言葉に繋がりがないってことです。「空はリンゴだ」という保証は「空はリンゴだ」の中にしかない。その意味(「空はリンゴだ」だから「空はリンゴだ」)で空はリンゴです。言葉に繋がりがない、は言い過ぎかもしれないです。繋がりが保証されていない。まぁ実際は繋がってますし、きっと保証もされていますけど。おそらく私は間違ってるし、説明すればするほど陳腐な考えに脱力しちゃうけど、でも空がリンゴじゃない理由を聞かれると答えられない。
 もちろん目で確認すれば分かることだし、リンゴの定義と空の定義は違う。じゃあ「リンゴ」と「リンゴの定義」と「バラ科の落葉高木。また、その果実。葉は卵円形。(以下略」と[一般的にイメージされるリンゴ]が同じかと問われると、話は振り出しに戻ります。
 だから「私は人間だ」を私が人間だという事実は保証しない。「A=B」は「A=B」のみを保証し、B=Cだとしても「A=B」は「A=C」を保証しない。ほら少しわかってきた。でもわかってくるということは、ここでは間違ってきているということだと思う。
 全身全霊でこんなこと信じているわけじゃ当然なくて何となくそんな気がするだけだけど、どこかの何かを正しいと思ってるから捨てきれない。覗き込む角度を変えれば正しい角度が多分あって、その先に何かが天文学的な確率でだけど存在する気がしないでもない。
 この道は「私は人間です」と「私は人間だ」を全く違うことだとしか感じられない地点が到着点か通過点だけど歩いているのは道ではなく宇宙空間のようなところであるべきだから、まっすぐ進む必要なんてなくて行き詰ったら方向転換するべきだけど。

神を信じる人間とその試練がちょっと分かる気がする。
神は困難を一つだけにしてくれる。だから宗教は敷居が高いんだろうけど、試練を乗り越えた後は全て保証される(保証しない神は原始的すぎる)。だからいちいち患わされることもない。

そんなもんなんだろうけど。

「Princess Bride!」KOTOKO 「巫女みこナース・愛のテーマ」 Chu☆ 「猫鍋」サイドプロテア 「さくらんぼキッス ~爆発だも~ん~」KOTOKO 

ハーイ♪リスナーのみんな、ご機嫌いかがかな?
今日紹介するのは電波ソングってジャンルの曲だ。
最近は撲殺天使ドクロちゃんを筆頭にアニメやコンシューマにも進出しているようだが、3年くらい前は18禁ゲームでしか聴けなかった曲たちだ。
今日はまとめて4曲紹介しよう。少なくとも刺激的だし先入観なく柔軟に聴ける人(脳が溶けてる人とも言う)は気に入るかも知れない。(全曲、曲名で検索すれば落とせるサイトがあるので気に入った方は是非)

1曲目は、曲自体も良く出来てるというか好みだ。電波ソングという枠じゃなくても気に入った曲。1,1倍速で聴くと尚良い。

「Princess Bride!」 KOTOKO



2曲目はiPodのCMに使われたらしい曲、CM用に編集されてます。最初から最後まで聴くと尚良い。気持ちよさそうに歌っておられます。これだけ伸び伸びと歌われてる曲って中々ないと思います。(YouTubeで巫女みこナースで検索すればフルで聴けますが18禁描写が含まれるためCM版)

「巫女みこナース・愛のテーマ」 Chu☆



3曲目、これは同人ゲームから、ゲームより歌のほうが気るボンバーマン風のゲーム。(英語のシャウトはStepManiaというゲームの効果音、もしくは踊ってる外国人の叫びです。一部は本曲のものです。)

「猫鍋」 サイドプロテア



4曲目

「さくらんぼキッス ~爆発だも~ん~」 KOTOKO



「メイドさんロックンロール」も紹介しなきゃいけないけどYouTubeに良いのがないので聴きたい人は検索してください。

「Fantasia on Themes from Atlach=Nacha」 EMBRYO 

ハーイ♪リスナーのみんなご機嫌いかがかな?
DJ楽園のお気に入りの曲紹介のコーナーだ。
今日紹介するのは同人音楽からだ。元は18禁ゲーム「アトラク=ナクア」のメインテーマ曲で同人サークル「EMBRYO]がアレンジした一曲だ。オリジナルではないものの「アトラク=ナクア」の世界に触れられる良い曲だ。時々聴くならゲームを起動させる必要もないし、こっちのほうが軽快でいい。
音楽を聴くためだけに起動させていたくらい名曲ぞろいのゲームだったし、淡々と流れるようでどこか物悲しい厭味のないゲームだった。

歌詞なしのピアノ曲なのでYouTubeでの音質の悪さが致命的だが、下記のサイトで配布しているので気に入ったらダウンロードして欲しい。だが配布しているものの画質は最低だし音質もいまいちかもしれない。
http://www.e4o.net/old/Hammerklavier.html

行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、 かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

わかってることしか書けないけど、わかってることって退屈だよね 

わかってることしか書けないけど、わかってることって退屈だよね

 「ガンダムSEED」をどう評価しようが個々人の勝手なんだよね。過去の演出を寄せ集めただけで本質的なものなど何もないだとか個人が好き勝手評価すると、意見が纏まらないってだけで。
 学生の人は知らないかもしれないけど、社会では「気がきく」というのは結構プラス評価なんだ。でも私には鬱陶しいだけ。こちらが気がついていないと思ってるんだろうか。わざとやってる、もしくは労力(精神的な労力含め)を使う価値がないから放置してる、ということを考慮にいれないんだろうか。相手に労力を使わせる=自分も消耗する、という図式が分からないんだろうか。「気がきく」がプラス評価なせいで益々世界が鬱陶しくなる。誰へのフォローか知らないが、「気がきく」ことに対してであって「気がきく人」に対しては、まずまず寛容だよ。「気がきく」ことで他人の意思を奪う人には非常に不寛容だよ。
 話が逸れた。「A」という価値についてどう評価しようと勝手なんだけど、「A」について一般的に受け入れられている評価=「B」とすると、世界は「A」=「B」で成り立ってるから(もちろん、その周辺に「B」=「D」等無限に連なる)、そんな世界で「A」=「C」を選択する選択者は自動的に選択を破棄させられる危険性が高い。サザエさんの世界にディオ・ブランドーを入れても弾かれるってこと。ディオの力が圧倒的で世界までも変えるならともかく、サザエさんの世界を保ったままじゃディオは存在できない。ディオが入った時点でサザエさんワールドは変わるべきなんだけど、サザエさんワールドは意外と強固でビクともしないんだな。でも当たり前にディオとサザエさんを共存させてる人も数え切れないくらい存在するんだよね。

 上記の主張が現行社会の様々な主張と共存できないとは全く思わないけど、それでも忘れがちにさせられるんだと思う。私個人の力不足で他の人はひと時も忘れていないのかもしれないけど。でも普通の人が普通に暮らす中で全ての言動の前提に置いておける考えじゃないと思う。上記を「X」とすると「Y=X+Z+…」くらいだと思うんですよ。だからこんな当たり前のことすら時々確認しなきゃいけない。
 「やさしい」という価値について嫌悪しようが勝手なんだよね、積み木が崩れるから「やさしい」は今受け入れられているままの「やさしい」じゃなきゃいけないってだけで。それ以上の理由があっても無視していいんだよ。
 極例を上げると、「やさしい」が憎悪の対象だとしたら様々なメディアの「やさしい」の演出も変わってくる。例えば映画で「やさしい」に包まれた感動的なシーンの音楽、セリフ、構図含め全て変えなきゃいけない。「やさしい」が負の価値観、「幸せ」が正の価値観で。「やさしい」と「幸せ」を同じ演出で表現していたとしたら、何もかも作り直さないといけない。これは映画だけでなく、言語、表情、その他文化の全てに関ってくる。だから幼い頃に「やさしい」に嫌悪を感じても貫くことはできないんだよ。誰もが一から積み木を積む根気なんかないんだから。そうやって誰人も矯正されてきたんだと思う。「やさしい」以外にも全てに当てはまるから、頭でこれやると何が何だか分からなくなるんだけどね。

大丈夫、俺はまだやれる。 

大丈夫、俺はまだやれる。
誰も例外なく物差しは歪んでるからさ、自分の背中に当てちゃお仕舞いだよ。背骨の歪みに感じる幸せもあるんだろうけど。完治不可能な骨折しちゃうと、自分を折りたたんで箱の中に仕舞うしかないんだから。箱の中は安定していて、多分それも幸せなんだよ。でも求めるものなんてないんだよ。そして箱の中からは出られないんだよ。

この世界に意味はないなんて言わずに 

この世界に意味はないなんて言わずに
(世界=意識を向けることが出来る場所、空間、時間、言語等、思いつく限り存在する)
言語遊びに過ぎないなんて言い訳しないで

とても大切なことです。でもいまいち価値を信じられない。
私はコーヒーを飲みました。(実際に今飲んでます。)行動を文章にしました。行動と言語にある差はなんなんでしょうか。生きていることと、生きているという言葉の違い。
自分でも何を言ってるのかさっぱり分かりませんよ、もちろん。
ただぼんやりと嫌な感じが付きまとう。
何もかもその嫌な感じの例えか逃避です。
「ある」「ない」の差や、「悲しい」「嬉しい」の差「幸福」「不幸」の差など「H2」と「タッチ」の違いくらいどうでもいいんです。
もちろんそこまでどうでも良くないですが、何を考えようと何を感じようと「意味=ある現象(行為・言語その他)に添付される、ある種の上位概念」に大差はなく虚しくなってきます。
何故虚しくなるんでしょうか。何をしても大差はないとうのはそれだけで虚しいものと思いますが。それよりも問題にしていることが間違っている、例えか逃避だから当然ですが。
困ったことに、データは常に上書きされて歩いてきた道は消えていきます。だから引き返すことは出来ません。しかし進む道は無限です。今はとても気分の悪くなる道を歩いていますが、気分良く歩ける道に出られるようにしなきゃいけません。でもさらに歩きにくい道を細胞が条件反射で嗅ぎ分けて、意識は抵抗せずに足がそちらへ勝手に向かっていく。だから私は自分が進みたくない方向へ進まないといけないんですが、もうGOODENDとBADENDのフラグはとっくに過ぎて、今から意識的に抵抗してGOODENDに向かってもGOODENDはBADENDの意味に変わっている。だからどんなBADENDに行き着くかという選択しか残されていないような気もします。でもきっと私の認識不足でさらに上位のTRUEENDに行き着くための道があると思わなきゃやってられませんけど。

僕が何を叫ぼうと今日も空は高い 

僕が何を叫ぼうと今日も空は高い

全てに答えが用意されていてうんざりする
答え通りにすれば問題が解決すると疑わない人間がいてうんざりする
答えが間違ってるいから上手くいかないと疑わない人間がいてうんざりする
間違っているのはその人間のほうだ
もちろん間違っている人間に間違いを正そうなんて気はない
だから的外れな同情や助言はやめろ
あなた方は僕の障害だ


拍手を。お芝居は終わりだ。byアウグスティヌス

一生を棒に降りし男ここに眠る。彼は無価値に生きたり。by高村光太郎〔墓碑銘〕

わしの図表に近寄るな。byアルキメデス

生きるなんて嫌なことよ!二度とそのことを言わないで!byマルガリット(スコットランド貴族)


権利は何に基づくかと愚痴らずに入られなかった。
電車に乗って僕は80cmほど空けて座った。駅に着く。乗り込んできた男は左横60cmに座った。この不快感は何だ。左半身が消え失せたように疼く。何だか無自覚に犯されている気分だ。憎悪と無力感に押しつぶされる。だけれど僕は席も立てず男に敵意をぶつけるしかできない。その敵意は男には決して届かず、僕だけの前にあるガラスにぶつかるだけなんだけど。だが僕と左の男の関係は、右の男と僕にも当てはまる。どうやら右の男は僕に対して敵意を向けてはいないようだ。向けてくれても構うことはできないんだけど。
自分の法律的な感性に疑問があるものの、おそらく権利は規則に基づく。だから行動を起せば捕まるのは僕だろう。そして規則のない場所なんて存在しないのだから限界はいつもそこにある。でもどうせ行使できずに終わる権利ならもっと狭くして欲しい。というのは嘘でもっと強力に保証してくれないと困る。


どうにもならないことほど愚痴りたくなるもんだね。
たいした問題を抱えていないし、どうにかできる問題を他人に愚痴ろうとは思わないから。問題の評価は主観的だから、客観的に見たらあっさり解決する問題も愚痴るんだけど。今日の愚痴ももちろん含め、何もかも例え話にしかならず、根本的な原因はおそらく永遠に掴めないんだろう。予防線張るのが面倒だから今日の愚痴終了。

エスキモーには日本語の「怒り」に相当する言葉がない 

エスキモーには日本語の「怒り」に相当する言葉がないし、実際に怒ることがないらしい。読み取れないというのではなく、怒りという感情を感じないらしい。また「悲しい」も同様らしい。

要は感情は絶対的なものではなく、環境の変数だってこと。
時代が変わったのか、私が変わっているのか判断はつかない。怒るとか嬉しいとかを感じることがないから、あっても見逃すから(例えば平安風に「いとおかし」なんて表現するしかない感覚に襲われた瞬間があったとしてもそんな稀な出来事見逃すでしょ。)だから嬉しい、好き、悲しい、怒り、その他累々で構築される日常会話にリアリティなんてちっとも感じないし、共感することもない。「イラつく」には素直に頷きを返せるけど、嬉しいには返せない、喜ぶなら理解できる。怒りとか感動(泣けるという意味での感動)などにはこっちとしては見ているしかない。こういった単語がテンポよく出てくるような会話、または感情を確認するような会話がすっごい苦痛で逃げ出したくなるぞ。
「イラつく」という言葉、100年前はなかったと思う。何かの代替なのか今までなかった隙間産業なのか知らないけど、そういう言葉がもっと必要だと思うんですよ。
「嬉しい」という言葉は共有されているし、どういう感情なのかは自己の経験からか他者の観察からか文法の経験からか、一言で言えばおそらく伝統によって学ばされるわけです。例えばそこに当てはまらないような感覚を持ったとする。思い切り感じられるか?感じるべきなんだけどね。
その意味で言葉は感情の増幅装置なんだと思うよ。

被害報告書 「被害者号泣編」 

被害報告書

被害者
25歳の男性(匿名)

被害者の症状
10月1~7日まで在宅時に食事、風呂等以外の時間に起きていられない(平均睡眠時間13時間)
被害者は職に就いているが遅刻、欠勤はしていない

被害者の訴え
「極端な言い方をすれば、意識を保つことが面倒なんです。意識がある時は勝手に情報を処理してるでしょ、例えば何時間過ぎたかを聞かれても凡そ答えられるように。意識があるってのは脳に負荷をかけてるんです。意識があるとぼんやりしてストレスたまるでしょ?何だかその負荷に耐えられない。というよりは耐える動機が持てない。そんな感じなんです。だから眠っているというよりは起きていないって感じですね。」
会社へは出勤していらっしゃったようですが?
「考えたら理由はすぐ分かりました。強制されているからです。僕は強制されてることはこなすように躾られてきましたから。高校卒業までズル休みとかしたことないんです。だから仕事も行くし食事に呼ばれれば食事も摂るんです。ただ風呂は強制されなくなったので、仕事に支障がなければ精神的に耐えられなくなるまで入りません。」
今まで同じような経験をなさいましたか?
「ええ、これが初めてではないです。1年に1、2回くらいかかります。大学のときは1人暮らししてまして、3ヶ月間寝っぱなしで風呂も痒さに耐えられなくなるまで、食事も空腹に耐えられなくなるまで摂らない時期がありました。具体的には風呂は10日に1回、食事は3日に1回ですね。ただ買出しが面倒になったので途中からカロリーメイトとビタミン剤を買い込んでベッドの横に配備しました。3ヵ月後は身体はボロボロでしたね、立眩みはするし平衡感覚は狂ってるし筋力は落ちているし全然歩けませんでした。何より頭が働かなず認識できませんでした。」

考えられる原因
長期間に渡る労働によるストレス
部屋の掃除が出来なくて不貞寝
理想と現実の差に気力喪失
被害者特有のバイオリズム
脳疾患、精神疾患等考えられるが結局は不明


現状報告書(10月7日23時現在)
※注意-以下は夢日記です。夢日記の中でも最低の類です。

仕事があるためか実家に住んでいるためか夢で大泣きしたためか今回は1週間で終わりそうです。先ほど眠りから覚めました。滅多に夢を見ないのですが久しぶりに夢を見ました。起きてはいないけど眠ってもいないという状態で見る夢なので意外とストーリーに流れがあります。人に話すには抵抗のある夢なのですが。

まず私は絶世の美女です。私の好みという尺度からは日本一、一般的な尺度からは甘く見積もって日本で100位以内。顔から足の小指まで奇跡としか言いようの無い造型でした。
15歳から社交界に出入りしていて「美しいから」という理由で貢がれますが断ります。高校にも通っていますが友達は1人もいません。しかし超美人なので遊びに誘われます。もちろん美に目がくらんだ野郎どもに言い寄られますが断ります。触れることも許しません。野郎の一人は週一で告白される程度にモテて調子こいていましたが私と釣合うはずがありません。また貢がれるのはプライドが許さないので、個室でエロ小説を朗読して自給5000円というバイトをしています(普通は1600円です)。学校や飲み会で奥手そうな男性を見つけるとフレンドリーに肩を組んだり手を握ったりしてからかう癖があります。
高校を卒業し大学に入りますが何も変わりません。インテリアコーディネーターとして仕事を始めたくらいです。ただ年はとります。30になっても美しいままなのは決定事項ですが、例え絶世の美女だとしても人間は人間なのです。人間という単語で括られてしまうのです。それに誰かと結婚したりSEXをするというのが悔しいのです。
紆余曲折あったことになって、中国四川省に渡ります。恐ろしい山奥の貧村です。電気などありません。その村はずれに老人が独りで住んでいます。私はそこに突然押しかけて妻になりました。絶世の美女ですし、中国の農民が見たことがないくらい垢抜けているので笑顔一つでいちころです。そして農作業をして暮らします。もちろんSEXの相手もします。現代日本の性文化(AVとエロゲー)で育ったため至れり尽くせりです。主人は無知でしたがとても暖かでした。言葉も通じず娯楽もない生活でしたが涙が出るほど幸せでした。しかし私が28の時主人が死にます。主人が死んだのをいいことに近所の下衆な男がレイプしに押しかけてきます。抱きしめたら折れそうに華奢なので抵抗も無駄で犯られてしまいます。そして監禁されてしまいます。何人も相手させられます。二日後自分の首を自分で絞めて自殺しました(夢なので可能なのです)。
急に回想が入ります。時系列がどこかわかりませんし、死ぬ間際の幻という扱いかもしれませんが、夢のことを突き止めても意味はないので止めます。回想です。
墓の前(何故か荒野)で主人である老人(何故か仁王立ち)のペ○スを愛おしそうにフ○ラしています。私は泣いています。涙の理由は分かりません。「ちくしょー」という気持ちでした。目が覚めました。枕が濡れていました。大泣きでした。


余談です。
夢なんていい加減なのです。「涙が出てた」というそれまでです。悔しいか、辛いか、悲しいか、何に対してか、など考察しても理由は後付けです。捏造と言ってもいいです。
現実も似たようなもんです。
泣いたとしても、笑ったとしても、何かの行動に含まれる感情は元々は一方向じゃありません。ほとんどが後付です。
もちろん「嬉しい」が先にあって微笑む場合もありますが、ほとんどは微笑むが先です。その微笑にはいろんなものが入っています。数ある中から嬉しいという感情を抽出して「嬉しい」に方向付けるだけで、実際そんなにはっきりとはしていないのです。微笑み時の感情に「嬉しい」が入ってない可能性もあります。ですが「嬉しい」という言葉が「嬉しい」に方向付けます。そして、そこで始めて「嬉しい」が生じるという例が多々存在すると思うのです。

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