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2006年終了 

2006年終了
月や年で区切る習慣はとっくに消失しているけど
それでも総括にはちょうどなので総括する
今年は、去年以上のマイナスな一年だった
一般的にも、一般を犠牲に成り立っていたものに関しても
引きこもってたほうがまだマシだったぞ

久しぶりに思う
やりなおしたい
こう望む気力なんて失っていたのに
高3の夏くらいからやり直したい

今月の目標はなんとか達成
でも事故代の見積もりが怖いぞ

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死に際し人が感じるものは吐き気だと再確認 

死に際し人が感じるものは吐き気だと再確認

ひたすら気持ち悪い。
喉の奥に焦りと憎しみが詰ってる。
何もかも許したくない。
いつまで続けるんだ。
数年前から後なんてなかったのに未実効項目ばかり。
人生にも負けるし社会にも負ける。
数年前に想像したら吐き気がした人生。
数年後を想像したら吐き気がする人生。
幸福は保留。苦痛のない人生を。
どんどんバカになっていく。
余計なことに影響されてはならない。

現実を直視すればするほど現実逃避しかない 

現実を直視すればするほど現実逃避しかない

事故った。ドア2枚逝ったよ。何なんだろ。時々時間が飛ぶ俺だよ。今後も定期的に事故を起こすだろうよ。車のいらない生活を手に入れない限り。

WA5 

WA5

微妙。
メインパートは凡作。でも過去キャラがファルガイアの住人として勢ぞろいなんだ。否定できないよ。

確実にいえることはレベッカの日記風の割り込みがうざい。ボイス有りだとこうもうざいのか。個人的な意見だけど、FFとボイスがゲームをダメにしたと思ってる。

 まずFF。といってもFFはあまりやらないんだけど、シリーズ途中からキャラのフォーマットをゲーム以外から取ってきてるだろFF。等身大志向(ちっとも等身大じゃないけど)とかやめてくれよ。人間の要素が10種類あってそれぞれ1-10まであるとする。全部5だと中途半端なリアリティしか生まないけど、ひとつ10があれば+αを生むんだよ、そしてその+αがイデアであり、そのイデアに嘘だけど深いリアリティ風のものを感じてしまうんだよ。
 キャラ立ちのためにある種のフォーマットを用いるのは必要だし重要だと思うよ。でもカルティケヤ(WA5の悪役)はないだろ…PS2以降のFF系の陳腐な悪役の臭いがぷんぷんする。狂ってる感じを出すためにやたら笑ったり舌をだしてしゃべったり。これ系は新品以外だせーんだよ。古くなってもクオリティを保てる狂ったキャラのフォーマットはWA2のジュデッカだろ。

 あとボイスね。ボイス有りだと声優が発音したときに自然に聞こえるように文体の癖が薄くなるんだよな。そして全体の整合性からボイスなし部分(無名NPCのセリフ、ゲームの方向性等)も影響を受けて丸くなる。文章ではいい味だしてる、でも声に出して堂々と言うには恥ずかしい、そんなセリフたちがどんどん消えていく。WA3のNPCはみんな味のあるセリフ吐いてたよ。陳腐でもパクリでもいいんだよ。今のゲームの現状を見ていると(WAシリーズしかみてないけど)なんでゲームでまで日常会話風のセリフを聞かされなきゃいけないんだって思う。セリフで楽しませようという意気がどんどん減退している。セリフが良いゲームはボイス化でどんどん消えていくんだろうね。

僕はきっと途絶える種なんだよ 

僕はきっと途絶える種なんだよ
良心的な衝動を偽善と切り捨てることは愚かだよ
それもある種の人間には本能なんだよ
我が侭なアリが存在するか?
でもアリは本能に従い生きてるよ
人間もそういうことだよ
ただアリよりも完成されていないから
いろんな人がいるし、同一個体の中でも時間によって振れるんだよ
きっと僕らは遥か未来の本能を奪い合っているんだよ
そして僕はきっと途絶える種なんだよ

WA5買ったんだけどテレビがなかった。
モニタがテレビとしても使えるはずだから、PS2つないでみるか。

12月14日、「ワイルドアームズ ザ フィフスヴァンガード」発売だよ。 

12月14日、「ワイルドアームズ ザ フィフスヴァンガード」発売だよ。
さっき発作的にWA3の壁紙が欲しくなって検索した。
WA3ってのは2002年発売のPS2用ゲームだ。
正式名称は「Wild Arms Advanced 3rd」
この世界に確かなものがあるとしたら、あの時期にWA3に出会った僕は幸運だったってことくらいだと思う。
で検索していたらWA5が14日発売だとわかった。
これって運命ってやつじゃないのか。
運命が何か幸運が何か、そんなもん知らない。
だからこれでいいや。
1は良作、2は名作、3は傑作、4は凡作、5はどうなんだろう。
3が圧倒的過ぎたからな。完成度とかよりも私との相性が。
それにしてもコンシューマ久しぶりだ。

 さっき書いた「私」の定義はダメだ。相性がいいのは額縁と定義した「私」じゃなく書いてある絵のほうな気がする。もちろん「私」=本質だけでもないし、実感的には[「私」は私の今までの全人生に関わりがある気がするけど、それだと矛盾する。構造的な欠陥でもあるんじゃないのか。
 でも私の「私」に対する認識が変わっただけで、「私」は以前のように「私」と表現されている。てことは私は「私」という言葉から全体に対し誤解が普及していて、私のように「私との相性」を認識しているのは私だけの可能性もある。

今日の私と昨日の私は違う私だよね。 

今日の私と昨日の私は違う私だよね。
だったら「私A」「私A1」「私A2」とかにするべきだよね。
でも「私」は「私」のままじゃん。
今日の私に昨日の私は含まれるけど、
昨日の私に今日の私は含まれない。
とすると、今日の私>昨日の私、になるよね。
一般的に認知されるている仕方で時間が存在しているという立場に立てばそうなるよね。
でも今日の私も昨日の私も「私」ってことになってるよね。
今日の私>昨日の私、これを還元していけば、「私」とは私が存在した瞬間にはすでにあったものになるよね。
仮にそれを本質と名づけると、その本質が「私」になるよね。
でも納得いかないよね。
今の私が「私」と表現する時の「私」は本質だけじゃないからさ。
何故納得いかないかと言えば、「私」=その瞬間の私の全情報だと定義したがっているから。でもこれでは矛盾が生じる。「私」=本質が納得いかないなら他に納得する答えを探さなければいけない。それは「私」が使われる全てのケースに対応しなければいけない。

イメージ的には、写真の外枠を「私」だとする。
枠の中の写真はレイヤー構造になっている。
今この瞬間が大したことがないなら、ほぼ透明なレイヤーが挿入される。もし重要な瞬間ならば、色の付いた、あるいは何かが書かれたレイヤーが挿入される。
これが納得できる答えなのかは保留。

一般的に言えば、私とは意識であって中身が何のかは問題にしない。私は自己規定が強すぎるから、こうすれば「私」の性質は規定されない。


当然、他人が「私」と使うとき、その「私」は楽園のことじゃない。

若年性アルツハイマーの気配!? 

若年性アルツハイマーの気配!?

がしなくもない。これは折込済み(「全て」のような折込方で)。

短期記憶がやばい。
選別しかできないようになった。
意識的な記憶への動機と長期的な必要性が揃わないと極端に記憶できない。
また意識的でなければ意識できない。

何だか可笑しい。解体されるマグロのように笑いが込み上げて来る。

意識は溶け出して、心(仮)の中心にはブラックホールがある。
近いものは飲み込まれ、遠いものは拡散していく。
この形容しがたい気分Θを治めるために、甘いもの食べたり、Sonata Arctica聴いたり投薬をする。だが沈静したとしても…沈静は悪化を意味する。
(締めくくりは常に)だからだ、環境を変えなければならない。説明するまでもなく自分を変えることは諦めて。
努力できない指数鰻上りの私にもできる方法で。
(努力することを諦めたわけではない。)
全ては交換条件というのが今の私の結論だ。だから賞罰を課す。
大抵の自己啓発本にあるように、達成条件は低めに、期間は短めに。
達成条件は内緒(金銭的なこと)、期間は今年中(今週じゃ制約的にきつすぎる)。
未達成の場合は死ぬことにする。
死ねないまでも1日凍死体験ツアーを企画実行する。
でもできれば死ぬことにするべき。
生きるために戦わなくては。
先延ばし3段、流され7段とともに有段者である私でも、3年後はともかく1ヵ月後は生きていたい。

総和を1とする。総和が1だと暗に主張している。 

総和を1とする。総和が1だと暗に主張している。
0.3を話す者は背後に0.7を暗に示している。
0.9だと結論する者も、0.1多いはずだと言い張る者もいない。

何を言いたいかわからないでしょう。
でも、何かを感じることや解釈することはできる。
真実を感じることもできるし(真実とは意識が見出すものだとするなら真実はどこにでも見つかかる)
上記は統計的にみてもおそらく事実だろう。

何故間違っていて、何故正しいんだろう。
総和は1じゃないかもしれない、20なら大幅に足りないし、0.1ならあまり過ぎる。総和が1だとしても、あんたの勘違いの仕方なら0.8かもしれない。

正しさは何に基づくんだろう。隙のなさだとしたら、その正しさは言語的に正しいということ以上を説明できるのだろうか。
全てに言えることだけど、受け入れないよの一言で全てがぱーになるんじゃないの。
その一言を絶対に言う気にならないようなことってなんかあるの。
あるならいいよ。

寒さは活動意欲を奪うね、冬眠はセンチメントだね。 

寒さは活動意欲を奪うね、冬眠はセンチメントだね。

自動操銃を片手に、札束の詰まった袋を抱えて、白いドレスに気球を背負って昇っていく。盗みに入った家を見下ろすと、居間には最後そっと銃を渡してくれたメイドさんが見える、玄関先には家主の夫婦が寄り添っていて、庭では双子の女の子が近所の男の子とブランコに座っている、庭下では逆を突かれた大勢の警察官と女刑事が喚いていて、女刑事の横では私を噛殺そうとした警察犬が吠え立てている。そしてみんな呆れて微笑んでいる。

私は、私のいない彼らの生活を思い、お別れに銃を乱射する、もちろん届かない距離から。そうして風に流されて、いつしか海に出る。
海面に映った私の姿は死んだ姉さんの姿で、波に揺れて、どこか泣いているような微笑んでいるような姉さんを見て、私は何を思えばいいんだろう。

どこか知らない街の酒場に降り立ち、始まる新しい日々が頭によぎるも、私はこのままラピュタのように宇宙へ昇る、そして途中で死ぬんだろう。その瞬間、私は何を思うんだろう。

という夢を見た。前半はアクションだから省略したけど、どことなく暗いカリオストロの城風味の能天気さだった。
ノスタルジックな甘さの中にある切なさ、この切なさの私の故郷はカリオストロ?とちょっと微妙な感想の夢でした。
なんだかんだ言っても、ラピュタ、ナウシカ、もののけ姫とかの切なさを嗜好してるんだろうな。
あ!ワルサーP38に近かったかもしれない。

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