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西尾維新、佐藤友哉 

ここで昔話。
西尾維新、佐藤友哉、滝本滝彦。
同時代に同年代でデビューしたことで何かと比べられていました。
3人とも2003年くらいまでの著作しか知りません。
書きたいことが上手く言語化できないのでまずは単純化します。
多分3人とも同じようなものを持っていた。
それをどうしたか。
西尾維新→諦観、達観。
佐藤友哉→憎悪、怒り。
滝本滝彦→解答、逃避。

何を書きたいかというと。
佐藤友哉の「クリスマス・テロル」まであった何かについてです。
そして現在失われてしまった何かについてです。

佐藤友哉を簡単に紹介すると
劣等感と、その裏返しの優越感。そして自分と社会の閉塞感。
それらからくるフラストレーションの塊のような文章。
行間からは登場人物ではなく作者の不満が溢れている。
そんな作家でした。

AはBを苛めていた。
そしてBがAを切り刻む。
BがAに対して復讐を起す文章をC。
BがAを憎む文章をD。
作者のどうにもならない思いをE。
CにはDよりもEが入っている。
それ以上にどの文章にもEしかない。
童話だろうが何を書こうとEが漏れ出す。

あのドロドロとしたものをずっと求めているのです。
あの生々しさはどこへいったんですか。
西尾維新のように戯言と言い切ることもできなければ、滝本滝彦のように逃げ出すこともできない。
そして今や多くの人が抱えていない。
今の新人作家にはちっともないもの。
あのどうしようもなさを求めているのです。
私が読んだ本の中ではぶっちぎりの嬉しくないシンクロ率です。
そしてフラストレーションに対し嫌悪と共にそうだと認めるしかないものを感じたのです。
痛々しくて、頑張っちゃって、でもどうにもならない感じ。
嘘や汚物の全てに唾を吐きかけたら何も残ってなくて、でもそれらで生きる嫌悪感。

滝本滝彦の小説にそれらからの脱却を求めたカタルシスがあるのなら、
西尾維新の小説がそれらを戯言と名づけエンターテイメントのスパイスとしたのなら、
佐藤友哉の小説はそれらを直視し続けたための絶望も許さない嫌悪感があります。

実際は本人はそんなつもりで書いていなくて単に私の思い込みの可能性が高いです。しかし私は佐藤友哉からしかそれを感じられなかったのです。他はそんな感性を持ち合わせていない。あるいは目を逸らしている。だから私は佐藤友哉の小説に迫力を感じたってことです。
なんというかあの当時の自分の肌触り、あるいは時代の肌触りがそこにはあった。

もう一度そんな感覚を味わいたいのです。
今の私が佐藤友哉の昔の小説を読んでもダメでしょう。
だから今の私にそう感じさせてくれるものをずっと探しているのですが、ちっとも見つかりません。

もし人に佐藤友哉を薦めるならば、そんなフラストレーションを抱えた人にのみ薦めます。そうでない人が読んでもくだらないだけです。佐藤友哉が読めるのはその感性からだけです。
それを失った「鏡姉妹の飛ぶ教室」は1章を読んで投げ捨てました。売れなくて西尾維新の作風を真似たんでしょうけれどひどかった。
今は失業の心配も無くなって作風を戻したのかななんて期待もしますが、あれは作風の問題ではなくあの時しかなかった何かなのできっともうダメでしょう。そしてあの時の私だから無二の傑作だったのでしょう。
今読んでも、あの時の気持ちにはなれないでしょう。内省的で憎悪に不満に焦燥に諦観と現実逃避に満ちた言わば当時ネット上に蔓延していたサイト郡を嫉妬し憎悪するサイトと同じエッセンスです。
西尾維新のフォロワーは捨てるほどいても、「クリスマス・テロル」までの佐藤友哉のフォロワーが見当たらない。西尾維新が売れ滝本滝彦もマンガ化されても、佐藤友哉はちっとも見向きもされないのは何故か。(名前も知られない作家は腐るほどいるわけですが。)フォローする対象が、感性とか感情なのですから見当たらなくて当然です。
西尾維新を2冊で涼宮ハルヒを1冊で投げ捨てた私は時代と合わなかったってことで今も探し続けてるんです。


「クリスマス・テロル」までの佐藤友哉。特に「クリスマス・テロル」
A75以上
M-
T75以上
S30-45
E85以上(劣等感と、その裏返しの優越感、そして閉塞感からくるフラストレーションの塊のような文章。当時の私はシンクロ率抜群と認めざるを得なかった。ミステリじゃなく童話というジャンルで書いたとしても得るものは変わらなかったでしょう。おそらくは、当時の私、当時の佐藤友哉、そして2002年という時代が生み出した傑作)
もし人に佐藤友哉を薦めるならば、その種のフラストレーションを抱えた人にのみ薦めます。そうでない人が読んでもくだらないだけです。佐藤友哉が読めるのはその感性からだけです。




ついでに西尾維新について
今や売れっ子エンターテイナーです。
(個人的にはブギーポップの世界でドクロちゃんをやられているようで気持ち悪いのですが)
「クビキリロマンチスト」西尾維新
A10(どうしても受け入れられない、戯言なんていわないで)
M-
T25以上
S60以上
E50以上(この人は先駆者だし、ある種の感性を持ってるので)



評価記号について

総合

物語性とでもいうか、演出、構成、設定など
要はお話としてどうかってこと

これは一番説明が難しい。
TVのコメンテイターに説得力がないのは何故か?
言わされているか、言っているか。
どこかで聞いたことのあることを喋っているだけかどうか。
主張あるいは熱意があるかどうか。
やりたいことをやっているかどうか

私の嗜好性、明るい話より暗い話、電波や青臭いは誉め言葉。

その他の特性

最高は100点
-は作品の評価に関係ないということ
「以上」それ以上だが判断がつかないということ

最後に、
独断と偏見に満ちてた評価だということ
かつ備忘録である


基本的に2000-2003年当たりに読んだものに関しては点数が高くなります。

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