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死に際し人が感じるものは吐き気だと再確認
死に際し人が感じるものは吐き気だと再確認
ひたすら気持ち悪い。
喉の奥に焦りと憎しみが詰ってる。
何もかも許したくない。
いつまで続けるんだ。
数年前から後なんてなかったのに未実効項目ばかり。
人生にも負けるし社会にも負ける。
数年前に想像したら吐き気がした人生。
数年後を想像したら吐き気がする人生。
幸福は保留。苦痛のない人生を。
どんどんバカになっていく。
余計なことに影響されてはならない。
- [2006/12/27 01:44]
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現実を直視すればするほど現実逃避しかない
現実を直視すればするほど現実逃避しかない
事故った。ドア2枚逝ったよ。何なんだろ。時々時間が飛ぶ俺だよ。今後も定期的に事故を起こすだろうよ。車のいらない生活を手に入れない限り。
- [2006/12/25 21:23]
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WA5
WA5
微妙。
メインパートは凡作。でも過去キャラがファルガイアの住人として勢ぞろいなんだ。否定できないよ。
確実にいえることはレベッカの日記風の割り込みがうざい。ボイス有りだとこうもうざいのか。個人的な意見だけど、FFとボイスがゲームをダメにしたと思ってる。
まずFF。といってもFFはあまりやらないんだけど、シリーズ途中からキャラのフォーマットをゲーム以外から取ってきてるだろFF。等身大志向(ちっとも等身大じゃないけど)とかやめてくれよ。人間の要素が10種類あってそれぞれ1-10まであるとする。全部5だと中途半端なリアリティしか生まないけど、ひとつ10があれば+αを生むんだよ、そしてその+αがイデアであり、そのイデアに嘘だけど深いリアリティ風のものを感じてしまうんだよ。
キャラ立ちのためにある種のフォーマットを用いるのは必要だし重要だと思うよ。でもカルティケヤ(WA5の悪役)はないだろ…PS2以降のFF系の陳腐な悪役の臭いがぷんぷんする。狂ってる感じを出すためにやたら笑ったり舌をだしてしゃべったり。これ系は新品以外だせーんだよ。古くなってもクオリティを保てる狂ったキャラのフォーマットはWA2のジュデッカだろ。
あとボイスね。ボイス有りだと声優が発音したときに自然に聞こえるように文体の癖が薄くなるんだよな。そして全体の整合性からボイスなし部分(無名NPCのセリフ、ゲームの方向性等)も影響を受けて丸くなる。文章ではいい味だしてる、でも声に出して堂々と言うには恥ずかしい、そんなセリフたちがどんどん消えていく。WA3のNPCはみんな味のあるセリフ吐いてたよ。陳腐でもパクリでもいいんだよ。今のゲームの現状を見ていると(WAシリーズしかみてないけど)なんでゲームでまで日常会話風のセリフを聞かされなきゃいけないんだって思う。セリフで楽しませようという意気がどんどん減退している。セリフが良いゲームはボイス化でどんどん消えていくんだろうね。
- [2006/12/21 00:11]
- 本ゲームアニメマンガとかのメモ |
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僕はきっと途絶える種なんだよ
僕はきっと途絶える種なんだよ
良心的な衝動を偽善と切り捨てることは愚かだよ
それもある種の人間には本能なんだよ
我が侭なアリが存在するか?
でもアリは本能に従い生きてるよ
人間もそういうことだよ
ただアリよりも完成されていないから
いろんな人がいるし、同一個体の中でも時間によって振れるんだよ
きっと僕らは遥か未来の本能を奪い合っているんだよ
そして僕はきっと途絶える種なんだよ
WA5買ったんだけどテレビがなかった。
モニタがテレビとしても使えるはずだから、PS2つないでみるか。
- [2006/12/14 18:57]
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12月14日、「ワイルドアームズ ザ フィフスヴァンガード」発売だよ。
12月14日、「ワイルドアームズ ザ フィフスヴァンガード」発売だよ。
さっき発作的にWA3の壁紙が欲しくなって検索した。
WA3ってのは2002年発売のPS2用ゲームだ。
正式名称は「Wild Arms Advanced 3rd」
この世界に確かなものがあるとしたら、あの時期にWA3に出会った僕は幸運だったってことくらいだと思う。
で検索していたらWA5が14日発売だとわかった。
これって運命ってやつじゃないのか。
運命が何か幸運が何か、そんなもん知らない。
だからこれでいいや。
1は良作、2は名作、3は傑作、4は凡作、5はどうなんだろう。
3が圧倒的過ぎたからな。完成度とかよりも私との相性が。
それにしてもコンシューマ久しぶりだ。
さっき書いた「私」の定義はダメだ。相性がいいのは額縁と定義した「私」じゃなく書いてある絵のほうな気がする。もちろん「私」=本質だけでもないし、実感的には[「私」は私の今までの全人生に関わりがある気がするけど、それだと矛盾する。構造的な欠陥でもあるんじゃないのか。
でも私の「私」に対する認識が変わっただけで、「私」は以前のように「私」と表現されている。てことは私は「私」という言葉から全体に対し誤解が普及していて、私のように「私との相性」を認識しているのは私だけの可能性もある。
- [2006/12/11 01:56]
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